文化の台湾 - 2020-12-25_台湾の12月25日は何の日?

  • 25 December, 2020
台湾では12月25日は「クリスマス」であるのと同時に「行憲紀念日(憲法施行記念日)」でもあり、クリスマスが近くなるとツリーだけでなく国旗も街中にあふれる。(写真:CNA)

今日は「クリスマス」!「クリスマス」と言えば元々は西洋の文化ですが、日本ではもすっかり定着していますよね。今では過ごし方も多様化していますが、一時期は「クリスマス=恋人と過ごす日」とされ、おしゃれなレストランやホテルは1年前から予約をしないと取れない!と、まだ恋人もいないのに先に来年のクリスマスの予約をする人もいる…なんて時代もありました。

そもそも、キリストの誕生を祝う日が、いつから日本では「恋人と過ごす日」になったのかというと、1980年代に流行した、松任谷由実の「恋人がサンタクロース」や、山下達郎の「クリスマス・イブ」といったロマンチックな曲や、トレンディドラマの影響ではないかと言われているそうです。

では、台湾のクリスマスはどのように過ごすのかというと、クリスマスには、仲のいい友達と集まってプレゼント交換をしたり、カップルで過ごしたり、中にはプロポーズをする人も多い、とても重要な日となっています。街も、日本ほどの盛り上がりはありませんが、年々、クリスマスイベントやイルミネーションの規模も拡大しています。

ところで、台湾のクリスマスは一体いつ入ってきて、いつごろから定着したのでしょうか?

台湾では、クリスマスは17世紀、オランダ人が台湾南部を統治していた時代、キリスト教徒が島に渡ってきた後に徐々に知られるようになります。ただ、オランダによる統治の期間も短く、その範囲も全島には及ばなかったため、クリスマスが文化として流行ることはありませんでした。

その後、台湾が清朝に編入後、19世紀半ばになると清朝政府は対外貿易の門戸を開きます。それとともにキリスト教が台湾へと入ってきました。そしてクリスマスの概念が徐々に台湾の土地に確立していきました。

ただその時、台湾に定住していたジョージ・レスリー・マッケイ牧師はクリスマスを祝うことに反対をしています。ただ、それはクリスマスを否定するという意味ではなく、「クリスマス」のお祝いによって世俗化してしまうのを避けたかったからだそうです。

結果、清朝時代の台湾でもクリスマスが流行ることはありませんでした。

もちろん、理由はそれだけでなく、当時、台湾島内の経済基盤がまだ不安定であり、貧富の差が大きかったことや、西洋の信仰よりも、その土地の宗教の方が信仰が厚かったなど、様々な要素があったようですが、そのような理由から、清朝時代はまだ台湾ではクリスマスは浸透していませんでした。

日本統治時代に入り、各地で起こった反日暴動が収束したあと、日本が台湾の社会に徐々に入ってきた頃、政治体制だけでなく、資本主義の風も共に台湾にもたらしました。この頃、ちょうど台湾の経済状態も安定期に入っており、日本も西洋化の発展をしていて、大正時代の台湾にも多くの西洋のものなども入ってき、クリスマス文化の流れもこの時に日本のビジネスを通して台湾にやってきたとされています。

日本統治時代、台湾最大のメディアであった「臺灣日日新報」の資料によると、1898年に現在の西門町一帯にあたる「新起街」の「台北日本キリスト教会」でクリスマスソングを歌い、お菓子を配った。1899年には、各地の教会でクリスマスイベントが行われた、という記事があるそうです。

その後、イベントもどんどん増え、幼稚園や学校も加わるようになっていきました。

このあたりから「クリスマス」が台湾に定着してきたと言ってもいいようです。

そして1905年に台湾南部・台南の現在の民生路一帯にあたる「內新街」でクリスマスミサが行われ、万国旗とイルミネーションが登場。1909年には、台北の大稻埕に駐在していたアメリカ領事が、台湾鉄道旅館でクリスマスパーティを開き、総督府の文武官やその他の国の特使も正装して参加したそうです。

ちなみに、サンタクロースのイメージが登場し始めたのは1919年だそうですよ。

日本統治時代に、西洋の物や文化が入ってきたのと同時に台湾にも入ってきた「クリスマス」ですが、戦後、さらに一般的になります。それは、蒋介石・元総統と夫人の宋美齢・女史がクリスチャンであることも関係しているそうです。

台湾にやってきた中華民国政府は国父・孫文博士の理念であった、憲法制度を実現するために、幾度もの協議を重ねてきた中華民国憲法が1946年12月25日に成立、翌1947年12月25日より施行されました。

そう、台湾にとって12月25日は、「クリスマス」であるのと同時に、「行憲記念日(憲法施行記念日)」でもあるのです。

その「新憲法」の施行を発表するラジオ談話で、蒋介石・元総統は、「中華民国36年、1947年のクリスマスは、我々、中華民国と全人民が、統一、独立、平等、自由の新しい生活を始める一日だ。新たな憲法は、キリスト教の基本要素である、個人の尊厳と自由を全国民に与えることを保障する。」と語ったそうです。

このようなことから台湾では、「クリスマス」と「憲法施行記念日」が連動して記憶され、祝われるようになりました。

なお、1963年から2000年まで12月25日は国定休日つまり、国民の休日だったんですよ。でも、「クリスマス」だからお休みだったのではなく、「行憲記念日(憲法施行記念日)」の祝日でした。2001年に台湾で完全週休二日制が始まるにあたって祝日が改正された際にこの「行憲記念日(憲法施行記念日)」は祝日ではなくなりましたが、今でも「クリスマス」が近くなるとクリスマスデコレーションとともに、中華民国の国旗である「青天白日満地紅旗」が掲げられているのも目にします。

台湾ではこのような歴史から、宗教的な意味合いを持つ礼拝の日であっても、現代的な流行の影響であっても、または政治的な意識のアイテムであっても、いつでも「クリスマス」の文化を受け入れてきたのです。

台湾では「クリスマス」の歴史をたどっていくだけでも、様々な歴史的背景が見えてきます。社会の変化を受け入れ、消化してきたことによって、台湾の人たちの寛容さと柔軟さがはぐくまれたのかもしれません。

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