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Rti 台湾国際放送Rti 台湾国際放送ようこそT-roomへ - 2021-04-14_台湾男子バスケットボールの黄金時代を支えた田塁

  • 14 April, 2021
ようこそT-roomへ
台湾男子バスケットボールの黄金時代を支えた田塁(写真:CNA)

 日本における2大人気スポーツといいますと、野球とサッカーですよね。では、台湾における2大人気スポーツは、何だと思われますか。それは、野球とバスケットボールです。いずれも国内にプロリーグがあり、アジアの中で一定の競争力をもち、国際大会が盛り上がりをみせるスポーツということからも、異論はないものと思われます。もっとも、野球とバスケットボールのどちらが人気があるかについては、台湾でも意見がわかれるところでしょうが、自分が実際にプレーするスポーツとしては、野球よりもバスケットボールの方がはるかに身近という感じがいたします。

 さて、このように台湾で人気のあるバスケットボールですが、さきごろ、台湾男子バスケットボール界の黄金時代を支えた一人の選手が引退しました。それは、現在、台湾のプロバスケットリーグ、プラスリーグのフォルモサ・タイシン・ドリーマーズに所属する37歳のパワーフォワード、田塁(ティエン・レイ)選手です。田塁(ティエン・レイ)は、田んぼの田、野球の一塁、二塁の塁と書きます。4日に行われた田塁(ティエン・レイ)選手の引退試合のチケット6000枚は、発売と同時に売り切れ、多くのファンがスタープレーヤーのラストダンスを見届けました。

 本日の「ようこそT-ROOMへ」では、2メートルを超す身長でありながら、スピード、跳躍力、ボディーバランスに優れ、またシュート力も高く、高校時代から20年以上に渡って台湾のバスケットボール界で主力として活躍してきたティエン・レイ選手についてご紹介したいと思います。

 ティエン・レイ選手は1983年に、南部の高雄市で生まれました。中学3年の時、既に197センチあったティエン・レイ選手は、中学卒業後、バスケットボール部が設立されたばかりだった地元の三民家商に進学しました。そして、1年生にして全国大会ベスト12入りを果たすと、2年生では見事全国制覇、5人のスター選手が率いる新興チームの快進撃は大きな話題を呼びました。そして3年時には王者の風格をみせ連覇を果たすと、ティエン・レイ選手は大会MVPを獲得しました。

 2001年、18歳にして、東アジア大会に出場する中華民国台湾のナショナルチームに招集されました。思い切って若手に切り替えた代表チームの下馬評は高くありませんでしたが、ティエン・レイ選手のほか、チェン・シンアン、ツェン・ウェンディン、ウー・ダイハウといった、後に「黄金世代」と呼ばれる選手達で結成された代表チームは銀メダルを獲得しました。

 高校卒業後は、当時の最高峰リーグ、全国社会人甲組リーグに属していた達欣工程に加盟、ポジションはそれまでのセンターからパワーフォワードとなりました。2年後、セミプロリーグSBLが設立されると、達欣工程の一員として大活躍、一つ年上、台湾ビールのリン・チーチエ選手との対決は、リーグの目玉となりました。

 ティエン・レイ選手は初年度の2003年シーズン、MVP、リバウンド王、スチール王に輝きました。翌2004年シーズンもMVP、リバウンド王を獲得したほか、ベストファイブに選ばれ、シーズンオフには、台湾の選手として2人目となる、北米のプロバスケットボールリーグ、NBAへの挑戦を果たしました。このチャレンジは失敗に終わったものの、2005年シーズンも3年連続MVPを獲得、台湾ナンバーワンプレーヤーの地位を完全に確立しました。

 プレーヤーとして台湾トッププレーヤーの名をほしいままにしながら、チームの優勝とはなかなか縁がなかったティエン・レイ選手でしたが、2009年、ライバル台湾ビールとの第7戦までもつれる死闘を制し、3度めのファイルにして初めてチームを優勝に導きました。

 2001年以来、中華民国台湾のナショナルチームに欠かせぬプレーヤーとなったティエン・レイ選手、その代表でのキャリアのハイライトと言われているのが、2012年アジアカップのカタール戦でのプレーです。73対73の同点で迎えた残り1.4秒、チェン・シーチエ選手が相手選手を引きつけたのを目にしたティエン・レイ選手は、素早くゴール前に入ると、リン・チーチエ選手のパスを空中でもらい、そのままダンクシュートを決めたのです。ティエン・レイ選手は、翌2013年、マニラで行われたアジア選手権においても、フィリピン、中国大陸を破り14年ぶりにベスト4に進出したチームの快進撃を支えました。

 ティエン・レイ選手はSBLでは2003年から2014年まで11シーズンプレー、総得点4883点は歴代2位、2222リバウンドは歴代一位のほか、プレーオフ1500得点も歴代一位となっています。

 しかし、SBLを離れ、中国大陸のリーグに挑戦を決めた2014年、インチョンアジア大会へ向けたナショナルチームの合宿で左くるぶしを激しくひねる怪我を負ってしまいました。一ヶ月休んだのみで、アジア大会に強行出場、そして、そのまま中国大陸のリーグへ出場と、無理した結果、左足のくるぶしだけでなく、膝にも痛みをかかえることになってしまいました。

 怪我をかかえながら2018年まで中国大陸でプレー、2019年に台湾に戻ると、古巣の達欣工程ではなく、ABL(アセアンバスケットボールリーグ)の台湾チーム、フォルモサ・ドリーマーズに、台湾選手最高額となる年俸600万元で入団しました。年齢に加え、怪我の影響もあり、パフォーマンスの低下は避けられませんでしたが、依然光るプレーをみせ、健在ぶりを示しました。

 新たなプロリーグ、「プラスリーグ」が発足した今シーズンは、開幕前からしっかり調整、コンディションもまずまずであった、ということですが、シーズン開幕後、一試合に出場しただけで膝に水が溜まったことから、身体の限界を悟り、引退を決意したということです。

 奥さんや子供、両親のほか、恩師、ナショナルチームを含め、かつてのチームメイト達が見守った4日の引退試合では、およそ15分出場、8得点、4リバウンドをマークしました。

 試合後、奥さんと子供から「お疲れ様」とねぎらいの言葉をかけられたティエン・レイ選手は、目をうるませました。ティエン・レイ選手はそして、中学、高校、そして達欣工程時代の恩師に対し、自分の事を実の子供のように大切にしてくれた、と感謝、そして、現役引退後、チームの経営メンバーという新たな任務を与えてくれたフォルモサタイシンドリーマーズに対し、今後も、バスケットボールの為に最大限貢献して

いくと述べ、意気込みを示しました。

 選手としてのティエン・レイ選手の華やかなプレーは見られなくなりますが、今後はその経験を活かし、台湾のバスケットボール界の盛り上げの為に力を発揮していってほしいですね。

 

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