:::

Rti 台湾国際放送Rti 台湾国際放送台湾ソフトパワー - 2022-02-08_「掃黑英雄(暴力団一掃のヒーロー)」廖正豪さ_

  • 08 February, 2022

旧暦のお正月を迎える前日(1/31)の大みそか、法務部の元部長、廖正豪さんが亡くなりました。76歳でした。

廖正豪さんは、1996年に日本の法務省に相当する法務部の大臣にあたる部長に就任後、積極的に暴力団一掃に努めたことから、市民の9割以上から高く評価され、「掃黑英雄(暴力団一掃のヒーロー)」と呼ばれていました。

廖正豪さんは、1946年、台湾南部・嘉義の六腳鄉で生まれました。 小さい頃は貧しい環境で育ったそうで、勉学に励み、1965年、国立台湾大学の法律科に進学します。

大学進学後は、在学中に裁判官や検察官などの司法官試験、日本留学試験、弁護士試験に合格し、卒業後、すぐに弁護士になりました。

弁護士として事務所を率いる傍ら、様々な大学や専門学校で非常勤講師を務め、また、台湾大学の法学修士号と博士号も取得しました。

1979年、廖正豪さんは当時の台湾省政府地政処の余茂阱・処長に抜擢され、台湾省政府地政処の主任秘書の職に就きます。これがその後、20年以上にわたって公職に従事することになるきっかけでした。

台湾に38年もの間敷かれていた戒厳令が解除された後の1988年、行政院の新聞局副局長を務め、アメリカとの知的財産権に関する交渉に参加し、台湾をスーパー301条の制裁対象から外すことに成功しました。

そして1995年2月には、初の台湾籍で、情報機関出身者ではない身分で法務部調査局の局長を任されることとなりました。

在任中には、台湾史上最大の警察汚職事件と言われている事件や、「中正国際空港(現在の桃園国際空港)第二ターミナル工事関連の汚職事件」、大手建設会社とその関連企業による違法な過剰融資事件、IBFファイナンシャル・ホールディングスの営業マンによる数百億元の窃盗事件などを摘発し、世間を騒がせました。

1996年6月、後に中華民国の国家元首である総統に当選した、馬英九氏から法務部の部長を引き継ぎます。

法務部長就任後は、ブラックマネーを排除するために精力的に動き、嘉義県の元議長である蕭登標氏が暴力団一掃の対象となっただけでなく、台湾の有名な暴力団の創設者らを離島の緑島へ送り拘留したり、宗教詐欺事件を一掃するなどし、市民からの支持率は96%にまで達しました。

この高い支持率は、台湾の歴史上、過去最高の法務部部長だそうです。

また、刑法、刑事訴訟法の改正をもとに、組織犯罪条例の成立を積極的に推し進め、マネーロンダリング防止法や、薬物危害防止条例、犯罪被害者保護法、証人保護法などの法案も制定しました。さらには法務部が中心となって、検察、調査局、憲兵、警察の力を集結して犯罪の取り締まりに積極的に取り組んでいました。

1998年に当時の調査局の局長によるセクハラ事件の対応と、その調査報告書が行政院の承認を得ずに公開され、行政院から「行政倫理に反する」とされ、政策が行政院からの支持を得られなくなったことから、法務部長を辞職しました。

その後は、国民党や親民党が廖正豪さんを台北県長の選挙候補に推薦していましたが、個人と家庭の事情により、公職に復帰することはありませんでした。

また、退任後は向陽公益基金会の設立や、引き続き法務部と協力をし、法治教育や受刑者の更生・保護のケアを推進するなど公益事業に積極的に取り組んできました。

*****

法務部長在任中、暴力団一掃運動や関係法案、政策の制定など、社会の安定維持に積極的に取り組んできたことで、市民から高い評価を得た廖正豪さん。

過去に心臓血管のバイパス手術を受けたことがあり、ここ2年は頻繁に入退院を繰り返していました。

昨年(2021年)11月に入院後は、何度も集中治療室(ICU)に入っており、旧暦の大みそか(1/31)の夜、この世を去りました。

台湾の治安維持に大きな影響を与えた「掃黑英雄」廖正豪さんの死去を受け、法務部は1日、ニュースリリースを発表し、廖・元法務部長の功績を称えるとともに、これからも廖正豪・元法務部長と同様に人々のために働くという理念を持ち続け、国家の安全と社会の安定のために全力を尽くしていくとしました。

Program Host

関連のメッセージ