:::

Rti 台湾国際放送Rti 台湾国際放送台湾ソフトパワー - 2021-06-15_“台湾ワクチンの父”、李慶雲・医師

  • 15 June, 2021
台湾ソフトパワー
6月11日、94歳で亡くなった「台湾ワクチンの父」と呼ばれた李慶雲・医師。「天性の第六感」、「神の手」を持つ医師だったとも言われ、多くの教え子から尊敬されていた。2020年1月の李慶雲・医師の伝記の出版記念パーティでは医療界のそうそうたるメンバーが駆け付けていた。(写真:李慶雲・医師(2列目左から5番目)/CNA)

新型コロナの域内感染の拡大がまだ落ち着かない台湾ですが、日本やアメリカからワクチンが届き、感謝ムードに包まれるのと同時に、ワクチン接種が積極的に進められるようになってきています。

そんな中、悲しいニュースが流れてきました。

ワクチンとウイルスの研究に半世紀以上の人生を費やし、「台湾ワクチンの父」と呼ばれていた、台湾大学医学部付設病院、略称:台大病院小児科名誉教授の李慶雲・医師が先日6月11日、亡くなりました。94歳でした。

李慶雲・医師は、台湾南部、当時の高雄縣湖口鄉に生まれました。父親は農協の職員で、家はいくつかの小さな土地を持っていましたが、それほど裕福というわけではなく、本人も最初から医学の道を目指したわけではなかったそうです。

中学を卒業後、成功大学工学部機械科に進学。これで頭角を表せると思って両親もその成績に満足していましたが、自身を振り返ってみると、機械にそれほど興味がなく、1学期が終わる頃、ちょうど台湾大学医学部が予科生を募集しているということを耳にし、家族には内緒で十数人の同級生と共に台北へ向かい受験しました。

結果、李慶雲氏、ただ一人が合格。しかし、台北に行って大学に通うとなるとお金がかかることから、家に負担をかけられないと、あきらめるしかないと思っていたそうです。

ところが、父親は医学を学ぶために台北に行くことに同意。翌年、李慶雲氏は、奨学金を受け、ひと月40斤(およそ24kg)のお米とわずかなお小遣いで生活を行いました。

1953年、台湾大学医学部を卒業後、台大病院の小児科に勤務しますが、そこで日本脳炎や小児麻痺、インフルエンザやロタウイルスが大流行するたびに、小児科病棟は廊下までも患者でいっぱいになり、3人の担当医師は絶え間なく押し寄せる患者に対応しなくてはならず、救急室はまるで朝市かのような忙しさで、みんな疲弊している様子を目の当たりにしました。

その経験から、伝染病を根絶するためには効果的なワクチンを発展させ、予防から始めることしかないと感じ、これにより、ワクチン研究を生涯の目標とすることを決意したんだそうです。

その後、アメリカ海軍第二研究所に進み、研究員としてウイルス学や組織培養、そして伝染病学を学んだ李慶雲・医師。その2年間は、教授に伴って各地の日本脳炎や、顆粒性結膜炎とも言われる「トラコーマ」、風疹の伝染病学調査をしただけでなく、多くの時間を、研究室でウイルスの培養や識別および血清抗体検査に費やしました。

そのころちょうど台湾に組織培養技術が導入されたところで、李慶雲・医師は風疹ウイルスと日本脳炎ウイルスを培養し、精製および弱毒化という工程を経て、「風疹ワクチン」、「日本脳炎不活性化ウイルスワクチン」、そして「日本脳炎弱毒化ワクチン」を開発しました。

元々は論理的に研究、実験を行ったもので、本人は、まさか自分が台湾初のワクチン開発従事者になるとは思ってもみなかったそうです。

そして、日本の厚生労働省に類似する現在の衛生福利部の前身である衛生署の予防接種委員会の招集委員を長年に渡って務め、国内のワクチン政策の策定やワクチン障害補償法制定などに参与しました。

そのようなことから、「台湾ワクチンの父」と呼ばれ、衛生署の一等衛生勲章が与えられています。

李慶雲・医師の最も有名なエピソードは、ワクチン開発で最初の成果が出ると、そのワクチンを自身の子供たちに投与し、その効果を皆に証明したというもの。このことについて、李慶雲・医師も後に、「当時は確かに大それたことをしたな」と認めていますが、「しかし、もし自信がなかったら自分の家族の命を試すことはないだろう」とも語っています。

李慶雲・医師が開発したワクチンを初期に接種した子供たちは、30年以上に渡って追跡が行われ、ワクチンの有効性は今でも証明されているそうです。中でも、人の腎臓細胞から培養した日本脳炎ワクチンは、世界でも類を見ないほどの免疫効果を発揮しているそうです。

ただ、残念なことに、これら台湾で開発された3種のワクチンは政府が輸入ワクチンを採用するという政策方針によって、参入する機会を失ってしまいました。

李慶雲・医師は、このことを誇りに思っていましたが、悔しさは隠せませんでした。

また、ワクチン開発だけでなく、李慶雲・医師の凄い所は、その“手”─。

台大病院のある小児科医は、李慶雲・医師の手には超音波でもあるのか?と思ったという話をしています。その医師によると、「当時、いかにして腹部エコーを操作し、科学技術を使った『第三の目』を駆使するかを学んだが、李慶雲・先生は触診でほぼ同じ判断をしていた。さらには、先生は病気の子供のお腹を手で触っただけで、腹部の隠れたしこりや膿を発見することができた。その腸チフスの診断能力は台大病院の小児科でもトプクラスだった」と語っています。

この他にも、ある時、花蓮から台大病院に移転してきた一人の子供の患者さんは、熱が下がらず、白血球の数値も低く、他の医師の診断は組織細胞が赤血球を飲み込んでしまう「血球貪食症候群」で、この病気は死と隣り合わせで、ステロイドで熱を下げるしか方法はないとしていました。

ところが、李慶雲・医師は突然ひらめき、薬をやめることを提案。するとしばらくたってから腸チフスであることが確認されました。

この子供が退院するときには家族は跪いて李慶雲・医師に感謝したというエピソードも残っています。

まさに「天性の第六感」、「神の手」をもつ医師だったと言われています。

様々なエピソードを残している李慶雲・医師ですが、

近年は、脳卒中を発症し、体調を悪くしており、後輩たちが時々見舞っていました。ただ、少し前まではまだ元気で、新型コロナの感染状況を気にしていたそうです。

昨年(2020年)1月に李慶雲・医師の伝記を執筆した台大病院小児科の医師で台湾ワクチン推進協会の秘書長でもある呂俊毅・医師は、李慶雲・医師の悪い評価を聞いたことがないと話し、学生たちに対してもとても忍耐強く、みんなから尊敬されていたと語っています。

伝記の出版の際には、当時の衛生福利部の林奏延・部長や、馬偕兒童醫院の黃富源・名誉主治医、台湾大学の張上淳・副学長、台大病院の倪衍玄・院長、疾病管制署の周志浩・署長、台大病院児童医院の黃立民・院長や小児感染科の李秉穎・主治医など、医療界のそうそうたるメンバーが参加し、恩師と共に過ごした時間を語り合っていました。

最近、体調が良くないとの知らせを聞き、教え子たちが亡くなる2日前にも見舞いに訪れ、その時は目をしっかり開け、手にも力があり、見舞いに来たこともわかっていたそうですが、6月11日の未明に亡くなりました。

李慶雲・医師の教え子たちは、今では防疫のキーパーソンとなっていて、最前線は未だに戦いの真っただ中です。

これまで李慶雲・医師や多くの人の努力によって台湾では大規模な致命的な感染症の多くが排除されました。

医学界からは多くの哀悼のメッセージが寄せられているのと共に、最近、ワクチンを巡って与野党間での言い争いや、フェイクニュースが目立っていることから、「ワクチンを巡る論争はひとまず止めて欲しい」との呼びかけもありました。

ワクチンの必要性を実感し、ワクチンの研究開発に生涯を注いだ李慶雲・医師のご冥福をこころよりお祈りいたします。

Program Host

関連のメッセージ