今週からは、警察官のお仕事をしながら音楽活動を行い、2000年には金曲賞を受賞した、原住民族、プユマ族の男性歌手、陳建年さんのストーリーについてご紹介します。
1999年に発表された、海洋。歌詞の中に、「晴れたこの日を選んで、釣り竿を背負って一人、東海岸まで歩く。」とありますが、陳建年さんは釣りが大好きとのことです。
陳建年さんは警察官のお仕事をしながら音楽活動を行うという、大変珍しい方ですが、陳建年さんに関する記事やインタビューを拝見すると、寡黙な方、控えめ、恥ずかしがり屋と書かれていることが多いです。
そして、釣りの話になると、よくおしゃべりすると書いているインタビュー記事も。
陳建年さん、原住民族プユマ族出身で、お名前は「プアドゥア」アルファベッド表記では、Paudullと書きます。
1967年8月1日生まれ。台東県台東市の南王部落出身です。台東農工職業学校を卒業後、台湾警察学校に入学、警察官となります。
音楽を始めたのは18歳のとき。自身で手掛けた曲は部落で歌われるようになるほど。
警察官として働きながら音楽活動を続け、先ほどお送りした海洋と同名のアルバムを1999年に発表。翌年の第11回金曲賞で、名立たる歌手がノミネートされるなか、最優秀男性ボーカリスト賞と最優秀作曲賞のダブル受賞に輝きます。陳建年さん、歌う時は帽子をかぶり、ウクレレやギターを片手に歌っていらっしゃることが多いです。
警察官として30年と10カ月勤めあげ、2017年9月に退職。現在は音楽活動に専念しながら、地元台東で農作業に従事するなど、自然体で活動を続けられています。
「海洋」のミュージックビデオの中には、陳建年さんが制服を着て、警察の派出所でお仕事中の映像があるのですが、その姿からは金曲賞受賞歌手という派手なイメージはなく、優しいお巡りさんといった雰囲気です。
陳建年さんは、台東の離島、蘭嶼で働きたいと申請をだし、警察官時代の勤務地の多くは蘭嶼でした。金曲賞を受賞し、一夜にして有名となると、蘭嶼に来た観光客が派出所までやってきてサインや記念撮影をお願いされたといいます。恥ずかしがり屋で目立ちたくない陳建年さんは、隠れるか逃げたりしたいが、職場を離れるわけにはいかなかったと笑顔でテレビのインタビューで話していました。
警察官の仕事をしつつも、CDを出すことになったきっかけを作ったのは、台湾のインディーズ音楽レーベルの『角頭音楽』、台湾カラーズミュージック社をつくった張四十三氏によるスカウトでした。
まずは警察の仕事があるため、歌手活動は難しいという陳建年さんに、難しく考えるな、ただ純粋にあなたの音楽が好きなんだと熱心に説明。
多くは発行しなかったアルバムは、金曲賞でダブル受賞となると、たちまち在庫不足となったということです。
陳建年さんのストーリー、来週に続きます。
【お送りした楽曲】
・海洋
・遊子情