先週末、5月8日、台湾南部・台南市にある烏山頭ダムで、八田与一・技師の没後79年墓前祭、および嘉南大圳着工100周年記念式典が行われました。
この八田与一・技師とは、日本統治時代、烏山頭ダムを設計し、この烏山頭ダムを含めた大規模な灌漑設備「嘉南大圳」の建設に尽力した人物です。この工事により、不毛の地とされていた台湾南部の「嘉南平原」が大穀倉地帯へと変わりました。
そのことは台湾の歴史の教科書にも掲載され、台湾で最も尊敬される日本人として知られています。
その八田与一・技師の命日である5月8日には毎年、烏山頭ダムにある八田・技師の銅像の前で慰霊祭が行われています。
今年も昨年に引き続き、新型コロナの影響により、日本からの参加者はいませんでしたが、日本側からは日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰・代表や、高雄事務所の加藤英次・所長をはじめ、台湾に住む八田・技師のご親族、そして台湾日本人会のメンバーなど、台湾に住む日本人およそ40人が参列。
台湾側からは、頼清徳・副総統、農業委員会の陳吉仲・主任委員、台南市の黄偉哲・市長らが参列しました。
挨拶の中で頼・副総統は、「八田技師が100年前に建てた『嘉南大圳』は、農業を発展させただけでなく、台湾の工業の発展の礎となっている」と語り、「現在の烏山頭ダムの貯水率は51%ある。台湾は今年、甚大な水不足であるが、今、もし烏山頭ダムがなかったら、人々の生活や、南部科学園区やTSMCなどの工場をはじめ、商工業に大きな影響が出ていただろう」と、八田・技師の功績を称え、感謝を述べました。
また、自身が台南市長を務めていた時に、烏山頭ダムに繋がる道を八田・技師を記念して「八田路」と名付けたことも語り、「台湾と日本の心は『嘉南大圳』でつながっている」と話しました。
また、親族を代表して参加した八田・技師の兄のひ孫にあたる八田卓朗氏は、「100年もの前の建造物を使用し続けるということは、日頃からの点検、修理などの、維持管理が非常に重要なものになると感じており、それは並々ならぬ努力の賜物であると思われます」と、感謝と敬意の気持ちを述べました。
そして、今年は嘉南大圳着工から100周年ということで、墓前祭が行われた後、「八田与一記念園区」にて、「嘉南大圳着工100周年記念式典」が行われ、この式典には蔡英文・総統、蘇貞昌・行政院長らも出席しました。
本来は昨年9月に予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっていました。
ただ、現在も日本から台湾への渡航が難しいことから、八田・技師の故郷である石川県金沢市と会場を中継で結び、日本の会場には八田・技師の孫にあたる八田修一氏や、金沢市の山野之義・市長らが出席しました。
式典では、安倍晋三・前首相をはじめ、森喜朗・元首相、超党派議員連盟「日華議員懇談会」の古谷圭司・会長、日本台湾交流協会の大橋光夫・会長らからのビデオメッセージも披露。
ビデオメッセージの中で安倍・前首相は、5月8日になると台湾の人たちが毎年慰霊祭を行い、感謝の思いを新たにしてくれていることに触れ、「その気持ちは日本人を深い感謝に包みます」とコメント。「八田与一を大切に覚えてくださっていて本当にありがとうございました」と感謝を述べました。
台湾の会場では蔡英文・総統が、「100年前、八田・技師が『嘉南大圳』を設計する際、100年後、台湾の農家みんなに水がいきわたるようにと考えていた。100年後の未来の子供たちにより良い環境を残すためにも、八田与一・技師の勇気、ビジョン、そして実行力を見習って、共に手を携えていかなければならない」と述べました。
そして式典の最後には、八田・技師が作った詩に、金沢で曲と振り付けをした「烏山頭踊り」が両会場で披露され友好を誓い合って閉会となりました。
台湾と日本の間に今も深い交流が続いている背景にはこのように台湾の未来のために尽力した日本人がいたこと、そして共に信頼を築き、その人への敬意を忘れず大切にしてくれている台湾の人たちがいるということ。私たちも忘れずに、そして、蔡・総統も語っていた、「八田・技師のビジョンや行動力を見習って」、台湾と日本、これからも共に手を携えて未来へと進んでいきたいですね。