台湾といえば「台湾茶」が有名ですが、実はコーヒーも有名だという事をご存知ですか?一般的にコーヒー栽培に向いている地帯のことを「コーヒーベルト」と呼ぶのですが、この「コーヒーベルト」とは、赤道を挟んで北緯25度から南緯25度の一帯のこと。つまり、ほぼ北回帰線と南回帰線の間ということになります。…ということは?そう、台湾南部も実は「コーヒーベルト」地帯なんです。
台湾のコーヒー栽培の歴史も実は長く、18世紀、アヘン戦争に敗れた後、清朝が開港条約に調印したことがきっかけで、イギリスからやってきた商人が、台湾の気候や環境が、南太平洋や中南米と似ていることに気付き、1884年、マニラからコーヒーの苗木を100株持ち込んだのが最初とされています。
ただ、当時は輸送にも時間がかかり、苗木の輸送管理技術も高くなかったことから、ほとんどの苗木がダメになってしまい、生き残ったのはわずか10株だったそうです。その残った苗木たちは今の新北市の三峡や鶯歌辺りである台北県海山郷に植えられました。結局この苗木の栽培も失敗に終わるのですが、イギリスの茶葉商は希望を捨てず今度は台北市の文山エリアで栽培し、ついに成功!その後も栽培を続け、コーヒーの木が3000株以上にまでなったのですが3年後、火災によってそのほとんどが消失してしまいました。
日本統治時代に入ってから、日本は経済価値の高いコーヒーを推進。1930年代に台湾でコーヒー栽培事業を進めていたのが、青地に黄色のカギマークの看板でおなじみの日本の有名コーヒー会社「キーコーヒー」の創業者、柴田文次氏でした。農園の開拓は困難を極めまたそうですが、1940年には台湾で品質も風味も良いコーヒーが豊富に生産され、最終的には当地で収穫されたコーヒーはアメリカの著名な鑑定家から高い評価を受け、日本にも出荷されるなど、台湾珈琲の全盛期を迎えました。しかし、第二次世界大戦の激化によって、農園の維持が困難となり、終戦と共にすべてを手放すことになったそうです。そしてコーヒー農家は徐々に米作りへと変えていき、台湾のコーヒーは次第に衰退していきました。
ところが、2016年に「キーコーヒー」創業者・柴田文次氏の孫で、現在の社長である、柴田裕氏が台湾南東部・台東県の農園跡地を視察した際、1930年代に栽培されていた1本のコーヒーの樹が「百年咖啡老樹」と名付けられ、奇跡的に残されていることがわかりました。
そこで、キーコーヒーは地元の政府と連携し、そのコーヒーの樹とその周辺を“台湾のコーヒー文化の原点となった地”として未来に受け継いでいくために整備し、保存していくことにしたそうです。
なんでも創業者・柴田文次氏は柴田裕社長が9歳のときに亡くなったそうですが、家族や先輩などから、祖父が台東の泰源と嘉義の蘭潭でコーヒーを栽培していたということを聞き、祖父が若い頃に植えたコーヒーの樹を探しに訪れたそうです。
昨年2019年には台東県泰山区のその「百年咖啡老樹」の横に記念碑が建てられ、記念式典が行われました。
この「百年咖啡老樹」の横でオレンジを栽培している66歳の陳旺生さんは、この樹を見ながら育ったそうです。よく母親からこのコーヒーの樹は日本人が植えたということ、戦後すぐは山も谷もコーヒーの樹がいっぱいで日本の会社の事務所もあったことを聞いていたそうで、まさか日本人が、祖父のコーヒーの樹を探しに来るなんてと驚いていたそうです。
ここ数年、また台湾珈琲が注目を集め始めていますが、台湾のコーヒーは生産地が限られ、生産量が極めて少ないことから“幻のコーヒー”と呼ばれています。そんな台湾のコーヒーを日本で味わってもらえるようにと、今年創業100周年を迎えたキーコーヒーは10月1日から、台湾南部・屏東県産のコーヒー『台湾産珈琲 屏東県』を数量限定販売するそうですよ。ぜひ楽しんでみてくださいね。