7月30日に病気のため亡くなられた李登輝・元総統の追悼告別礼拝が19日、台北市のお隣、新北市淡水にある真理大学礼拝堂で行われました。
李登輝・元総統といえば、日本統治時代の台湾に生まれ、旧制台北高等学校を経て京都帝国大学農学部へ進学。戦後、台湾へ戻り、後に2度に渡ってアメリカに留学。1968年にアメリカのコーネル大学で農学博士号を取得後、農業問題の専門家として、当時の国民党政権に抜擢され、政界へ。行政院政務委員や、台北市長、台湾省政府主席、副総統などを歴任し、1988年に蒋経国・総統の死去により総統に昇格。台湾出身者としては初めての総統就任でした。そして1996年に台湾初の総統直接選挙を実現させ当選。12年に渡り総統を務めました。
自身も「22歳まで日本人でした」と語っているように、日本の教育などから大きな影響を受けたという李登輝・元総統。とても日本のことも良く知り、よく見て、よく気にかけてくださっていた方で、機会があれば日本の政治家や研究者たちとも対話をする場を設け、日本の若手政治家の中にも李登輝・元総統を尊敬しているという人がとても多くいます。
今年7月30日に亡くなられ、その後、台北賓館に追悼献花台が設けられた際には、世界的に猛威を振るう新型コロナによって海外からの渡航制限がかかる中、日本から森喜朗・元首相をはじめ超党派の議員連盟である「日華議員懇談会(日華懇)」のメンバーらが世界でいち早く台湾を訪れ、追悼の意を表しました。
葬儀は李登輝・元総統の宗教信仰と遺族の意思を尊重し、キリスト教式で進められ、8月14日に既に火葬されており、一昨日19日に、国葬として追悼告別礼拝が行われました。
この追悼告別礼拝にも、森喜朗・元首相が再び訪台。このほか、日華懇の古谷圭司・会長や、日本台湾交流協会の谷崎泰明・理事長、牧島かれん・衆議院議員らが参列しました。
短期間内での再訪台であり、数日前に骨折をしたにもかかわらず訪台した森・元首相は記者からの質問に、「回数はどうだっていい」「お別れの会に出させてもらえればいいと思って喜んできました」と答え、李登輝・元総統がなくなったことで「一時代が終わった」と感慨深げにコメントをしました。
また、追悼告別礼拝では、安倍晋三・元首相からのメッセージを、日本台湾交流協会の泉裕泰・代表が代読。「日本と台湾の友好親善と、台湾の民主主義の発展に多大な貢献した李氏に、深い感謝と敬意を表する」とし、「これからも“千の風”となって日本と台湾の私たちを優しく見守ってください」と惜別の言葉を送りました。
台湾の南部の多くの人は、北部までは遠くて追悼に行くことができないという声が多かったことから、先週9月16日には、台湾南部・高雄市のキリスト教会で、民間の主催による、李登輝・元総統の追悼礼拝が行われましたが、ここでも「千の風になって」の合唱が行われました。この「千の風になって」は、死しても魂は墓の中ではなく、私たちの身近なところにいて、私たちを見守ってくれている─という歌詞で、李登輝・元総統が好んでいた楽曲だったそうです。
この高雄で行われた追悼礼拝に参列した地元の医師で、ネットメディア「民報」の創業者である陳永興氏は、「彼の信仰や、生命哲学、武士道精神、忍耐、堅持、飽くなき追及、これは台湾人を生まれ変わらせ、尊厳や志し、理想を追い求める台湾の新しい国家を生み出すものだった」と故人を振り返りました。
今の日本人以上に、日本の精神を持ち、日本を理解し、日本と台湾を鼓舞し続けてきた李登輝・元総統。遺骨は10月7日に、新北市汐止の五指山軍人墓地内にある「特勲区」に埋葬されます。