台湾にも歴史ある学校がいくつもありますが、台北市の西エリア、日本人観光客もよく訪れる寧夏夜市のすぐ近くにある靜修中學もそのひとつ。前身は、台湾初のカトリック系女子校「靜修女学校」で、1916年創立と、100年を超える歴史を持つ学校です。2007年より中学部の男子学生の募集を始め、今年の1月、正式に「台北市天主教靜修中學」に改名しています。台湾で言う「中學」とは、中学校のことではなく、中等教育を行う学校のことを指します。
その靜中學で先日、75年の時を経て、一人の女性に「卒業証書」が手渡されました。
その女性の名は「川瀬富子」さん。川瀬さんは、1929年に広島県呉市で、台湾人の父親と、日本人の母親のもとに生まれました。6歳から台湾で生活を始め、現在の西門小学校にあたる、台北壽尋常小学校で学んだ後、靜修女学校に進みました。
川瀬さんの元々の名前は「頼トミコ」で、戦時中に「川瀬富子」に改名をしたそうです。
トミコさんは1945年3月に靜修女学校を卒業。3月20日に卒業式が行われたのですが、その卒業式典の最中に空襲警報が鳴り、全員学校の防空壕に避難。卒業証書も授与されないまま、「幻の卒業式」となってしまいました。その後、日本が敗戦し、トミコさんも日本へ引き上げました。後に夫の仕事の関係でマカオに移住。そして10年前に台湾へと引っ越してきました。
そんなトミコさんは、ずっと卒業証書を受け取っていないことをとても気にしていたそうで、そのことを知った卒業生の蔡亞璇さんと、法政大学からの留学生・権田猛資さんらの働きかけによって、7月13日、卒業から75年を経て、卒業証書の授与が実現しました。
靜修中學はその100年を超える歴史により、戦後の混乱で卒業証書を受け取れていなかった生徒も少なくなく、これまでもそんな生徒に対応してきました。
靜修中學の蔡英華・校長によると、「学校に名簿のような学籍が書かれた紙が保管されていたので、破損しないよう手袋をしてページをめくり探し出し、卒業証書の再印刷を行った」そうです。卒業証書は、日本時代の史料を参考に作られており、紙は新しいものの、デザインは当日と同じ、また、校長の名前も当時の鈴木譲三郎・校長の名前となっていました。
“卒業証書”を手にしたトミコさんは「とてもうれしい」と喜び、関係者に感謝していました。
ちなみに、トミコさんの妹も夫の母も、靜修女学校を卒業していることもあり、トミコさんにとって学校はとても思い出深い場所だったようで、学費がいくらだったかと言うところまでもはっきり覚えているそうです。
75年前に“卒業”はしていたものの、その証書である“卒業証書”をようやく受け取れたトミコさん。色々な人の協力を経て、91歳のおばあちゃんの夢が叶った日となりました。
(編集:中野理絵/王淑卿)