<第1セクション:台北の下町「艋舺」>
- 台北の西側の下町に「万華(ワンホア、ばんか)」という地域がある。元々の表記は「艋舺」、台湾語で「バンカ」という音になる。日本統治時代の大正9年(1920年)、「萬年繁華」の願いを込め、日本の漢字音で「バンカ」と読める「万華」を当て、今の地名に落ち着いた。また、「Bangka」という音は、台湾の平地の先住民族ケタガラン族の言葉で「丸木舟」のことを指す。万華がかつて貿易の集積地だったことと関連し、この点も興味深い。
- 「一府二鹿三艋舺(最初が台南府、二番目が鹿港、三番目が艋舺)」という言葉があるように、万華の街としての歴史は古い。これは台湾の開墾が南部から中部、北部へと進んだことを示している。万華は大漢渓、新店渓、淡水渓の三つの川が交わる水運の要所として、台湾北部に経済の中心が移り始めた清朝の嘉慶時代(18世紀中葉)以降、急速に発展した。
- 最近、龍山寺からほど近い、伝統市場の東三水市場の脇に、日本統治時代の市場の建物を改修してオープンした「新富町文化市場」に入り浸っている。日本統治時代にはこの一帯を新富町といったことに由来する。その一角に「萬華世界下午酒場」という居酒屋スペースがあり、そこの「関東煮」にハマっている。店主に聞くと、おでんの練り物(さつま揚げ、肉団子等)は隣の東三水市場のお店で買っている由。台湾の「甜不辣」と呼ばれる練り物に比べ、つなぎが少なく魚の香りや食感が楽しめ、日本のそれに近い。
- 林強『向前走(前に向かって)』OA。
<第2セクション:昼飲み居酒屋が打ち出す地元市場との共存共栄>
- 先ほどから紹介している「萬華世界下午酒場」の店主は、街おこし、コミュニティ建設のキュレーターを長らくやって来た台湾人の李政道さんだ。李さんは台北の古い街である「万華」で自分の店がハブとなって地元の市場の方々とお客さん、クリエーターをどのように繋いだら良いかを模索している。
- 「昼飲み」居酒屋のコンセプト、隣の東三水市場でテイクアウトで買った食べ物の持ち込みは歓迎という方針は、市場で働く人々からの支持を集め、その土地やそこに暮らす人々との連携、互助の関係をを生み出している。したがって、お客さんは市場関係者、コンセプトに賛同するクリエーターやアーティスト、台北在住の外国人が中心。「你好我好大家好(あなたも、私も、みんなにとっても良い)」、日本の三方良しに通ずる関係を構築。
- 私も東三水市場の練り物屋さんで、台南名物の「蝦捲(蝦のすり身揚げ)」と稲荷寿し、巻き寿司専門店で「豆皮寿司(いなり寿司)」テイクアウトして持ち込む。
- 今月の歌、馬場克樹『ジャカランダの降る街』をOA。
<第3セクション:ドキュメンタリー映画『擬音 A Foley Artist』が日本で公開>
- 11月19日から日本で公開されている台湾のドキュメンタリー映画『擬音 A Foley Artst』について紹介。フォーリー・アーティストとは、日常生活にある様々な道具を使って映画の効果音を生み出す職人。台湾映画のともに歩み続けた国宝級フォーリー・アーティスト、金馬奨年度傑出映画製作者賞の受賞者でもある胡定一さんの半生を追った作品。私も宣伝のコメントを寄せている。
- コメント文「音を創る。想像力と創造力を駆使し、アナログ的手法で生み出されていく効果音の数々。 これらをアートとして昇華させ、総合芸術である映画のパーツとして組み込んでいくフォーリー・アーティスト。 デジタル化時代に向き合う職人としての葛藤と矜持、そして悲哀。華語映画史のアナザー・ストーリー。 」
- 茄子蛋『浪子回頭』OA。