台湾には様々な民俗行事があって、その多くは神様の生誕祭や、法会といった宗教行事ですが、台湾中南部・雲林県の口湖鄉では毎年この時期、台湾で唯一、歴史的史実に由来した民俗行事が行われます。
その行事とは「口湖牽水(車藏)祭典(口湖牽水状祭り)」─。
この“車”、“蔵”という2文字は台湾最大の方言・台湾語の当て字で2つの字で一文字を表します。最近は、分かりやすくするため、発音から取って“状況”の「状」という字で書かれています。
この「口湖牽水(車藏)祭典」毎年旧暦の6月1日から6月9日までの9日間にわたって行われる、国家無形文化資産および重要民俗活動に指定されている、台湾最大規模の、水難事故で無くなった方の慰霊祭です。中でも旧暦の6月7日と8日がメインとなります。
なぜこの時期なのかというと、1845年、台湾の西の海岸で起きた「六七水災(六七水害)」に由来します。
この雲林県の口湖鄉一帯は、海に近く、現在も遠くまで続く平地に多くの魚の養殖場が広がるとても穏やかな場所です。
しかし、その地形が災いしました。
今から176年前、1845年の旧暦6月7日、南西から北東に向かって進む台風が台湾の西海岸を襲います。その際、広い平地で、風を遮るものが何一つないその地形から、豪雨によって水かさが増した川の水が海に流れきれず氾濫。その水が台風の強風にあおられて巨大な津波と化し、沿岸地帯を襲いました。
これにより、海岸沿いの村で数千人もの人が亡くなりました。台湾の文献「台湾通志〈水利篇〉」によると、その数は3000人と記載されているそうですが、現地ではその数は7000人にも上ったと言い伝えられています。
台湾に漢民族の人たちが入植して以降、最大の災害に、北京の道光帝も政府の穀物や国庫を使って災害救援をするよ指示を出しただけでなく、台風被害を受けた台湾に対して「朕心深為不忍(心を痛めている)」と哀悼の意を伝えました。
また、遺体を一つ一つ埋葬するのは不可能だったため、士官と兵士によって集められた遺体は集団埋葬され、役人から報告を受けた道光帝によって「萬善同歸」と書かれた石碑が建てられたそうです。
この「萬善同歸」とは、仏教の言葉から来ていて、「人は皆、最後には同じ世界に帰する」という意味なんだそうです。
そして、口湖鄉の人々が先祖を偲び、その供養を願うようになりました。
1851年、幸いにも難を逃れ、後に移住してきた人たちが、供養のための祠を建てようと寄付を募り、現在の蚶仔寮、旧・金湖港萬善爺廟の前身となる祠ができ、毎年旧暦の6月7日に慰霊祭が行われるようになりました。
廟の後方には今も「萬善同歸」と書かれた石碑と集団埋葬された場所が残されています。いくつもの小さな山(墳丘墓)が並びその一つ一つに一人一人が埋葬されているそうです。
この慰霊祭では、先人を悼む心と、宗教的な信仰を結び付け、読経をしたり、“済度”の儀式を行ったり、お供え物を捧げたりして、先人が苦しみから解き放たれ、安らかに眠ることができるよう願います。
そんな慰霊祭「口湖牽水(車藏)祭典」は2008年に、雲林県によって地域の無形文化資産に登録され、2010年には文化部により、重要な民俗文化として国家文化資産に指定されています。
*****
「口湖牽水(車藏)祭典」は、現在の下寮、金湖、柑仔寮の3つの地域で行われます。旧暦の6月1日から慰霊祭の準備が行われ、「挑飯擔」、「放水燈(灯篭流し)」、そして「牽水(車藏)」の儀式が行われます。
「挑飯擔」とは、旧暦の6月7日に、伝統的な天秤棒の両端に籠を吊るしたものに食べ物を入れ、歩いて萬善爺廟まで行き、先祖の霊を祀り供養する儀式で、多くの人が参加し隊列となります。
そして、その日の日が暮れた頃、港から道士や祭りの関係者たちを載せた船が海へと進み、沖で燈籠を流します。これは霊が迷わずに上陸できるよう水路が開いたことを示しているそうです。
同じころ、下寮の萬善爺廟では、先人の霊を祀るため、廟の裏にある墳丘墓にはたくさんのロウソクの火が灯され、霊たちの家路の道を照らします。普段は夜は真っ暗でひっそりとしている場所が、この日は柔らかな光に包まれます。
そして翌日、旧暦の6月8日に、「牽水(車藏)」の儀式が行われます。この日は早朝から熱気にあふれていて、4~5千個もの「水(車蔵)」が、廟や周辺の道路の両側に並べられます。1キロ近くに渡って並ぶ「水(車蔵)」は壮観です。
この「口湖牽水(車藏)祭典」で特徴的なのは、「水(車蔵)」と呼ばれる竹ひごで作られた高さ1メートルほどの筒状の“済度”の道具です。
この「水(車蔵)」の「(車蔵)」は、道教の書に出てくる字で、「回転する」という意味です。
台湾の古くから伝わる民俗習慣では、水害で亡くなった人を供養するためにはこの「水(車蔵)」を用いて、苦しみから引き離してあげなくてはならないという考えがあることから、慰霊祭の日には多くの水難者を出した口湖エリアではたくさんの「水(車蔵)」が並びます。
この「水(車蔵)」を回すことで、水に溺れて亡くなった霊を自ら引き上げるという意味があって、「水(車蔵)」は、霊たちに浮き輪を与えるようなものとされています。
慰霊祭が行われる廟の広場には、回転するように作られた「水(車蔵)」が7つ並べられ、道士に続いて、人々がこの「水(車蔵)」を次々と回して、霊を水から引き揚げます。水車みたいなものです。
用意されたニワトリが鳴いたら霊がやってきたという証拠だとされていて、すると「水(車蔵)」が引っ張っているのか、人が引っ張っているのか、どちらとも見分けがつかない状態で、「水(車蔵)」をかけた竹竿をつかんだまま人が荒馬のごとく暴れだし廟の中へ走りこんでいきます。それが7つの「水(車蔵)」で起こり、祭りの熱気は最高潮になります。
陽も沈み始めるころ、道士が牛の角笛を吹き、銅鑼を鳴らし、霊たちをあの世へと導きます。そしてこの世に未練を残して去ろうとしない霊を追い払うために、集められた「水(車蔵)」を魔よけの「草龍」に見立てた藁を束ねたもので叩き、最後に「水(車蔵)」を燃やして儀式は終わりを告げます。
この「口湖牽水(車藏)祭典」は、雲林の口湖では、中華圏で最も重要な行事とされる“旧正月”=「春節」と同じくらいに重要な行事とされています。
今年(2021年)は7月16日、17日が旧暦の6月7日、8日にあたるため、この週末行われる予定でしたが、新型コロナによって防疫警戒レベルが3級となっていることから、今年は中止となりました。「口湖牽水(車藏)祭典」が中止となったのは176年の歴史の中で、2003年のSARSの時に続いて2回目とのことです。
「口湖牽水(車藏)祭典」は自然災害によって失われた命の慰霊から始まった伝統行事です。
雲林の観光処は、この重要な民俗的行事が新型コロナウイルスで中止となったことを通して、皆に、環境、生態、そして人類の共存という重要な問題に向き合い、考えて欲しいとしています。