文化の台湾 - 2020-05-20「連絡が途絶えた第2の母親を捜そうプロジェクト」、只今進行中!

  • 20 May, 2020
E-DAMさん(中央)に対する思いが募っている。右は詹国霆、左は妹。(写真:詹国霆さん提供)

台湾北部・台北市の女子名門校・台北市立第一女子高級中学(高校)で学ぶ、許紫涵さんは、今年の母の日である5月10日を控え、4月、自身のフェイスブックに15年前お世話になったインドネシアヘルパーを探していることを書き込みました。

台湾とインドネシアのメディア関係者の協力を得て、許さんは、今年の母の日である5月10日にオンラインでインドネシアヘルパー、Dwiさんと再会を果たしました。

それがきっかけとなって、台湾国際放送の運営母体である、中央放送局は、多くの台湾の報道機関、および社会福祉団体と共に「連絡が途絶えた第2の母親を捜そうプロジェクト」を発起しました。

関連報道を見た27歳の男性、詹国霆さんも17年前から、以前お世話になったインドネシア人ヘルパー、E-DAMさんを探しています。E-DAMさんは、小学校4年生まで詹さんの世話をしていました。二人は、家族のように親しかったです。詹さんは、E-DAMさんも自分と同じようにミカンが大好きだということを知り、お昼の学校給食でもらったミカンを放課後学習塾に持って行ってE-DAMさんに食べさせていました。4年生のある日、詹さんは、いつものようにミカンを持って帰りましたが、E-DAMさんは学習塾にいませんでした。先生からE-DAMさんはすでにインドネシアに帰ったことを聴き、ショックを受けました。

詹国霆さんは、「スピリチュアルカウンセリングを受けることになった。毎回このことに触れたとき、或いは別れのシーンを見たとき、思わず涙が出た。涙が止まらないときもあった」と振り返りました。

突然の別れに父母の離婚、詹国霆さんは、爺ちゃん、祖母ちゃんと生活するようになりました。このような環境で育った詹国霆さんは、大きくなった後、家族との絆を特に重視しています。

詹さんは、今年父親になります。自分の子どもが自分と同じようなひどい目にあわないようにするため、詹さんは妻と約束しました。「何が何でも離婚しないこと」を。

離婚は子どもに大きな影響を及ぼすからだということです。

詹国霆さんは、「E-DAMさんがいなくなった後、『E-DAMさんは僕にとって第2の母親だ』ということが分った。母の日を迎えるたびに、E-DAMさんに対する思いが募る。『E-DAMさんは僕の母だ。ヘルパーではない』と常に心の中で叫んでいる」と話しました。

詹国霆さんは、毎年の母の日にフェイスブックにE-DAMさんとのツーショットをアップし、E-DAMさんへの思いを綴りました。毎年「E-DAMママ」との再会を切望しています。

今年61歳になるはずのE-DAMさんが、台湾に来て自分の子どものように可愛がっていた詹国霆さんの「結婚式」に参加し、「おばあちゃん」として「孫娘」に会う日がいつ来るでしょうか。

 

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