12月25日は、台湾ではクリスマスのほかに、もう一つの意味があります。「行憲紀念日(憲法施行記念日)」です。「行憲紀念日」は、1947年12月25日、『中華民国憲法』が施行されたことを記念するための日です。1963年から2000年までの間、憲法施行記念日は祝日と定められていました。そのため、一部の台湾人にとって、12月25日はクリスマスより、憲法施行記念日のイメージが強いと言えます。
憲法施行記念日がクリスマスと同じ12月25日であることは、偶然ではありません。権威主義時代の台湾を代表する統治者、蒋介石・元総統がそのように指示したから、中華民国憲法は1947年12月25日から施行することになったということです。
1.キリスト教の伝来:オランダ時代(17世紀)
台湾が初めてキリスト教の文化に触れたのは、大航海時代の17世紀。中国との貿易を求めたオランダ人は、台湾南部をアジアにおける貿易拠点として占領していました。しかし、オランダ人の勢力範囲が狭かったことと、台湾を占領していた期間が短かったことで、クリスマスを祝う文化は普及されていませんでした。
2.カトリック教の伝来:清朝(19世紀)
時間が更に進み、19世紀半ば、清朝の領域に編入された台湾は港を開放し、ヨーロッパ諸国と中国と取引をする拠点の一つとなりました。港を中心に発展が進み、他国の文化に触れるチャンスも大きく増えました。この時に、カトリック教は台湾に伝来し、それとともに、クリスマスの文化も少しずつ台湾で知られるようになりました。しかし、当時の台湾は、経済が安定してなく、貧富の差が大きかったなどの問題を抱えています。また、外来の宗教より、本土の宗教への信仰心が強かったため、クリスマスに対しては、あくまで「そういうイベントがあるのを知っている」だけで、特に祝わなかったそうです。
3.クリスマス文化が普及されるきっかけ:日本統治時代(1895-1945)
続いては、1895年から1945年までの日本統治時代。日本統治時代初期、台湾各地で起きた抗日運動が静まったあと、日本の統治下における台湾では、政治と経済が次第に安定しました。日本では、西洋文化を積極的に取り入れた明治維新のあと、欧米からの新しいものと、日本の伝統的なものが混ざり合う大正時代を迎えました。
クリスマスの文化は、この頃に日本で広まり始め、そして海を越えて、台湾でも親しまれるようになりました。
大正時代の台湾の最大の新聞紙『台湾日日新報』には、クリスマスに関するイベントが多く掲載されています。
それによりますと、1898年、現在台湾北部・台北市の観光名所、西門町のあたりにあるキリスト教会では、賛美歌を歌ったり飴を配ったりするイベントが行われました。1899年、台湾各地の教会はクリスマスイベントの準備に力を入れました。1905年、台湾南部のある街ではクリスマス礼拝が開催され、街中に世界各国の国旗やイルミネーションが飾られました。1919年、新聞紙にサンタクロースが初めて登場した、などなどです。
4.戦後
第二次世界大戦後になりますと、台湾人はすっかりクリスマスの文化に馴染みを持つようになりました。これは、前の時代から受け継がれてきた習慣の影響だけではありません。戦後、台湾を治めていた蒋介石・元総統とその夫人、宋美齢・女史はキリスト教徒だったからです。憲法施行記念日がクリスマスと同じ、12月25日であるのも、蒋介石・元総統の影響です。
中華民国憲法が制定されたのは、1946年12月。そしてその翌年の1947年12月25日に施行されました。
蒋介石・元総統は当日、ラジオを通してこのような談話を発表しました。
「中華民国36年、つまりイエス・キリストがこの世に生まれた1947年のクリスマスの日は、我々中華民国と国民全員が統一、独立、平等、自由を手に入れる、新たな風が吹き始める1日となる。新しい憲法には、キリスト教の基本的な教義が取り入られている。つまり、個人の尊厳と自由を確保することである。この新たな憲法は、国民全員の自由と権利を確認し、国家の統一の自由の元で、国民の自由を守る精神に基づいて生まれたのだ。この新しい憲法の実施は、我々の最終的な目標である、新しい中国の建設における初歩的な段階でしかないが、今まで三千年も独裁政権と封建社会を続いてきた中国にとっては画期的な進歩である。全国の同胞の皆様よ。信仰心をもって、ともに努力し前へ進もう」ということです。
蒋介石・元総統のこの談話から、憲法施行の日がクリスマスと重なったのは、偶然ではないことが伺えます。1963年、「行憲紀念日(憲法施行記念日)」は祝日と定められ、2000年には、週休二日制の実施に伴い、祝日から外されましたが、その間の37年間、毎年の12月25日は休みでしたよ。
ちなみに、あくまで余談ですが、この時に制定された中華民国憲法は、施行してからわずか半年も経たずに、1949年、「動員戡乱時期臨時条款」の施行により効力がなくなりました。1949年から1987年まで、台湾は38年もの間、戒厳令が敷かれていました。戒厳令が解除されたあとも、憲法は何回か修正されましたので、いま台湾で使われている憲法は、もう最初の頃の憲法とは大きく違っていますよ。