台湾北部・新北市の北東部、金山エリアでは、「蹦火仔」と呼ばれる伝統漁法が受け継がれています。
先日の「文化の台湾」でもご紹介しましたが、“ママカリ”とも言われる「サッパ」という魚が海流に乗って北から南に回遊してくる夏の限定の夜間に行われる漁で、夜、火を焚いてその明かりに集まってきた「サッパ」を一網打尽にします。
この漁法は100年以上の歴史があり、2015年には新北市の文化資産に登録されました。
この伝統漁法、「蹦火仔」では、火を焚いて魚を惹きつける「火長」がとても重要で、魚の群れを見つけ、火をつけて魚を呼び寄せ、乗組員に捕獲の指示をし、同時に炎を素早く動かして魚たちが網に向かうように誘導する…と、まさにこの漁のリーダー的存在です。
その「火長」を引き継ぐ若者がいます。簡士凱さん、今年29歳─。
簡士凱さんの家は、60年以上に渡って、この金山エリアの磺港で漁師をしています。
現在、この伝統漁法、「蹦火仔」を行う専門の船「蹦火船」はわずか3隻しかないそうですが、そのうちの2隻は簡士凱さんの家の所有だそうです。
そんな伝統漁法を受け継ぐ家に生まれた簡士凱さん、中学生の時から「蹦火仔」の仕事に触れるようになりましたが、正式に仕事としてかかわるようになったのは大学を卒業して、兵役を終えてから。
多くの船員が高齢となり、伝統が途絶えてしまいそうになっている中、簡士凱さんは、この伝統を絶やしてしまうのはもったいない、誰もやらないなら自分がやる!とこの世界に戻ってきました。
22歳の時に試験に合格し「船員証」を得て船員となり、船の上で「蹦火仔」の漁法を学びました。最初はアセチレンガスの制御をおこなう担当として「火長」のサポートを行っていました。
ところが、「火長」を務める父親、そして伯父が、健康上の理由から続けて引退することとなり、25歳の時に、船員のおじさんたちのサポートと、自身もまた船の経営者の息子として、「蹦火船」、“富吉268號”の「火長」を引き継ぎました。
一般に「火長」は、長く船員としての経験を積んだベテランが務めますが、漁師としての経験はわずか4年の簡士凱さん。潮の流れの変化を見て魚の気配をつかむのも「火長」の仕事だと例を挙げ、伝統漁法は学ぶことが多く、環境や地形に慣れるだけでなく、更なる経験を積むことが必要だと語っています。
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簡士凱さんが、伝統漁法「蹦火仔」の「火長」を引き継いだ後、2016年に、コンテナ船が石門沖で座礁し、重油が流出する事件がありました。ちょうどその周辺は、サッパの回遊ルートだったため、サッパが岸に寄り付かなくなってしまい、漁民の生計にダイレクトに影響を及ぼしました。
簡士凱さんは、この汚染から代謝して魚が帰って来るまでには4~5年かかる可能性があると考えていましたが、まだ大量のサッパは現れていません。
かつて漁が好調な時は漁業シーズンになると船員は30万、40万元と稼ぎ、観光船もたくさんついてきて見物したり、写真を撮ったりしていたそうですが、今では数千元の収入にしかならず、出航回数も激減し、中には辞めてしまう漁師もいるそうです。
簡士凱さんの家が運営している「蹦火船」も現在、“富吉268號”だけが生き残りに懸命となって動いています。
そんな中、簡士凱さんは、故郷の100年の歴史がある伝統漁法「蹦火仔」の文化を忘れさせないために、「蹦火仔」の季節にこの伝統技術を積極的に披露しているほか、一昨年(2020年)からは、漁業シーズン終了後には、金山漁會と共に、北海岸の6か所の小学校を巡回して、子供たちに「蹦火仔」の作業方法などを紹介する授業をしています。
これによって、子供たちの心に「蹦火仔」の文化の種を植えています。
また、今年も先日、旅行会社と手を組み、観光船もついてきて、伝統漁法「蹦火仔」を披露しました。
簡士凱さんは、このような活動を行っていくことによって、「蹦火仔」の事をより多くの人に知ってもらい、自身が故郷に戻ってきて跡を継いだ経験のように、多くの若い人たちにこの業界に入ってもらい、「蹦火仔」という伝統文化を継承していきたいとしています。